朝日新聞『見せかけの謝罪』(2) 訂正と記者会見までの期間とその時期について

朝日新聞記者行動基準(抜粋)

公正な報道

1.正確さを何より優先する。捏造や歪曲、事実に基づかない記事は、報道の信頼をもっとも損なう。原稿はもちろん、取材メモなど報道にかかわる一切の記録・報告に、虚偽や捏造、誇張があってはならない。写真でも、捏造や捏造につながる恐れがある「やらせ」は、あってはならない。

2.筆者が自分であれ他の記者であれ、記事に誤りがあることに気づいたときは、速やかに是正の措置をとる。

http://www.asahi.com/shimbun/company/platform/kisha.html


今回の一連の不祥事の時系列
8月05日 慰安婦問題の誤報・誤用訂正(翌06日まで)
     「慰安婦問題の本質 直視を」との論説掲載
8月25日 慰安婦問題の本質は変わらないとする記事を改めて掲載
8月28日 「慰安婦問題 核心は変わらず」
8月29日 池上彰氏コラム掲載見合わせ
9月04日 同コラムを遅れて掲載、謝罪
9月11日 (政府、吉田調書など公開)
     朝日新聞が記者会見を開き、
     ・吉田調書報道の誤報認め謝罪
     ・慰安婦問題誤報と謝罪の遅れについて初めて謝罪するも、
    「広い意味での強制性はあった」「(8月5,6日の記事に)自信を持っている」と発言
     (テレビ朝日報道ステーション」で朝日新聞慰安婦問題誤報を初めて報道。特集で、吉田虚偽証言は国連報告書「クワラスワミ報告」、河野談話作成に影響していないと結論付ける)
     池上彰氏コラム見合わせの判断は杉浦信之・編集担当(朝日新聞社取締役)と説明
     ・一連の誤報について第三者機関等で審理するとともに自社で検証を行うことを明言
9月12日 社長の謝罪掲載
9月13日 「論じることの原点を心に刻んで」との社説掲載


・訂正記事掲載、記者会見までの期間と時期・日付・時刻について

吉田調書については、そもそも吉田所長が御存命だったら、このような記事は書けなかったろう。本人が故人となり、反論できない状態であることを認識したうえで、記事を作成したのではないか。

慰安婦問題については、問題となった吉田清治氏の虚偽証言を書いた植村隆氏(韓国人の訴訟原告団幹部を義母に持つ)は、今年3月早期退職している。記事を書いた同僚が社内にいるうちは検証できなかった、と考えられる。
また、8月5日付の検証記事で朝日新聞は否定はしているものの、客観的に見れば1992年1月11日付朝刊「慰安所 軍関与示す資料」との1面トップの報道は、直後の宮沢首相訪韓(1月16日首脳会談で8回謝罪)を狙った意図的な報道との指摘の方が、納得がいく。
また、検証記事を発表した8月5、6日は、週刊誌の夏休みを狙ったものと推測される。

次いで、記者会見が始まった9月11日午後7時30分について、いくつかの点からその意図を推察する。

9月11日は、言うまでもなくアメリ同時多発テロ(2001年)の日である。ただでさえ、国際的には改めて事件を振り返る日である。のみならず、今年は、中東情勢が不安定化しいわゆるイスラム国が台頭する中で、世界はアメリカのオバマ大統領が行う演説に注目していた。日本で夜に開かれた会見は、アメリカ時間では9月11日朝であり、朝日新聞は、自社の謝罪会見が、同時多発テロの話題にかき消されるのを期待していた可能性もある。

また、9月11日の朝日新聞社の会見は、当日その情報が流れ、午後7時30分ごろに始まった。テレビのニュース番組の中でもっとも視聴率が高い、NHKニュース7が終わった時刻を狙ったのではないか。
また、警備上の都合という理由で、用意された部屋は狭く、築地にある本社の周りには多数の警備員が配置されていたという。直前まで場所と時刻は知らされず、当初は記者の立ち入り制限(自社が招待した者のみ)もあったという(TBSラジオ番組より)。


具体的に記者会見を開く決め手となったのは、自ら最初に入手した吉田調書を、政府が公開することとしたことがきっかけとしている。

「8月末からの取材班以外の調査で判明しました。(撤回までに)時間がかかってしまったことは、誠に遅いと判断しております。申し訳ございませんでした」(杉浦編集担当・9月11日記者会見)

この点について「記事取り消しがなぜ遅くなったのか 他社の報道後も、当初は考え変えず」(9月12日付朝刊)で吉田調書の取り消しまでの経緯について、?掲載直後、?8月18日の産経新聞吉田調書入手報道後に、それぞれ批判があったが「命令違反・撤退」との解釈が可能と判断。さらに?8月下旬には、取材班以外の報道・編成局の数人が吉田調書の内容などを検討したが、「命令違反と解釈できる」との考えを維持したという。三度、訂正の機会を逸していることが明らかになった。

しかし、その後、取り消した理由は説明されるも、いつ、誰が取り消しを決定したのかは記事中には書かれていない。記者会見中「8月末に『誤報ではない』というコメントを出したと聞いている」と質問者の発言もあったが、なぜ9月11日に会見するに至ったのかは、会見でも紙面でも明らかになっていない。

結局、政府によって本物の調書が全文公開されてしまうと、入手した他のメディアに批判されるだけでは済まなくなると考えたのだと思われる。

「(政府による)吉田調書の公開というタイミングの前に、こうした発表の機会を計画しようと思っていたところ、(政府の公開)発表日が設定されてしまい、その前は現実問題として難しいということで今日になった」(杉浦編集担当)

しかし、この発言は非常に不可解で、『その前は現実問題として難しい』というのが理解できない。政府は、9月上旬に調書を公開することは公表していた。記事や会見として、誤報の詳細をまとめる時間がなかったということなのか。
慰安婦誤報で記者会見を開かなかったのに、吉田調書では最初から記者会見を開く計画があったかのような言いぶりも理解に苦しむ。そもそも、朝日新聞も政府に吉田調書公開を求めてきた。

それ以前の慰安婦報道訂正の段階では、紙面の説明にとどまり記者会見を開いていない。9月11日の記者会見も、慰安婦問題はついでのような印象であった。現に

たまたまこういうこと(吉田調書誤報)でお集まり頂き、(慰安婦誤報も)あわせてご説明させて頂いたということです。」(木村社長)

と発言している。

また、9月11日のテレビ朝日系「報道ステーション」では、初めに吉田調書の誤報を中心とする朝日新聞社の記者会見を報じ、次に、朝日新聞慰安婦問題誤報を初めて報じた。親会社(朝日新聞)が検証記事を発表してから、実に1か月以上、「報ステ」では慰安婦誤報について沈黙していたのである(これで公共の電波を使う資格があるのだろうか)。
この中では、テレビ朝日でも5回、吉田清治虚偽証言を報じていたことを認めた。その上で、吉田虚偽証言は国連報告書(クワラスワミ報告)、河野談話作成に影響していないと結論付けた。朝日新聞テレビ朝日誤報を認めておきながら、その吉田証言の影響は小さいと言わんばかりであった。
コメンテーターとして出演する朝日新聞の惠村順一郎編集委員も特集のあと、お詫びしつつも「消すことのできない歴史の事実」などとした。
朝日新聞幹部が「報ステ」に出演し、その内容・主張も酷似していることは周知の事実である。朝日系メディアは誤報を認めつつも、「吉田虚偽証言の影響は小さい」と繰り返し主張している。

これも改めて疑わざるを得ない。つまり、「報ステ」で慰安婦を特集する日に、記者会見をあえてぶつけたのではないか(またはその逆か)。特集の内容は「慰安婦問題の本質直視を(8月5日付朝刊)」「慰安婦問題 核心は変わらず(8月28日付朝刊)」、「(8月5、6日の記事に)自信を持っている」(9月11日記者会見)という朝日新聞の主張を援護射撃するかのようであった。


結局、
同時多発テロの日に会見し世界からの反発を減らし、
NHKニュース7の終了後に始め日本での反発を減らし、
報道ステーション」の慰安婦誤報特集で電波を使って親会社(朝日新聞)を少しでも守ろうとしたのではないか。

政府公開前に記者会見を開かなかったことも辻褄が合う。