文芸春秋(2012/10号)

文藝春秋 2012年 10月号 [雑誌]

文藝春秋 2012年 10月号 [雑誌]

・「国会改革」憂国の決起宣言
つまるところ、首相以下閣僚が、くだらない国会審議に縛られすぎて、本当に主体的に国について深慮したり国際会議の準備をしたりしている時間がない、ということですね。政府に入った政治家は官僚の振り付け通りに踊っているだけのように見える。

英仏独等のヨーロッパの例を主に引用しながら(アメリカは比較的厳格な三権分立なのであまり参考にならない)、閣僚答弁型の国会審議や、スキャンダルから外交まで「なんでもあり」の予算委員会を改め、政治任用をもっと拡大しながら政府の仕事に徹せよ。そのうえでダラダラと質疑をやるんじゃなくて、時間を区切って(週5時間とか)、ゴールデンタイムに週2日閣僚答弁の国会を中継すればよい、という話。議会についていえば、アメリカとかの地方議会が夜に中継されているのはよくあることだそうですよ(日本の県・市議会ってすごく影薄い。中央への陳情機関にしかなっていない)。

だいたい前日の真夜中に野党の質問が出てきて、政府答弁の資料は官僚に丸投げ、っていうんじゃ官僚も相当疲れる。そんなに頼っているから閣僚が基本用語の答弁すらできないという事態が生まれる。もっと政治家が勉強して政府にたくさん人を配置しなきゃね。その意味では安易な定数削減には慎重になったほうがいいと思う。


・宮さま、京都にお還りやす
京都府知事、京大総長、哲学者の3人の懇談形式。
3人の意見は時々食い違うけど、それを認めたうえで読むと、なかなか面白い。
プライドの高い京都愛にあふれているので、京都に縁がない筆者からすればやや嫉妬にも似た倦怠感もあるが、まあそこは懇談なので御愛嬌(笑)
かねてから、天皇は必ずしも東京の宮城を住まいとする必要はないと思っていて、高齢の天皇と、新憲法下における国事行為と私的行為の取り扱い、摂政等の代行など、いろいろ思うところはあるよね。京都人いわく、長めの東京行幸だという、本気とも冗談ともつかない話もありますしねw

「明治に莫大な金をかけて作った西洋形式の赤坂迎賓館に各国要人を招くのは非常に醜い、鹿鳴館の狂気と思い出させる。日本で要人を招くのに足る施設は京都御所京都迎賓館ぐらいだ」という趣旨の主張を見たことがある。まあ前半はそこまで卑屈になることもないと思うが、この記事中でも、エリザベス女王訪日のことが書いてあって、そのくだりはなかなか面白い(あまり言い意味ではないのだけど)。

ただ、現状は国事行為として認証式があり、公式ではなくても今でも上奏はあるので、天皇京都御所に戻るのは理想だけど現実的には難しい気はする。まあそうすると国会や国政の場が東京にある必要はないということになるので、大きく見ればいいのかもしれないがw 江戸期や鎌倉期は長らく、政治は関東、皇室は京都(もちろん宮中祭祀に公的私的の区別などない)でやっていたという事実はあるが、元首としての天皇に大臣認証や衆院解散含め国事行為がある以上、東京でないと難しいとも感じる。

宮中祭祀についていえば、国民の祝日を法律で定めている以上、(政教分離があるとは言え)皇室や神社と生活や、皇室の活動に公的私的の区別をしたりするのはナンセンス。切っても切れない関係にあるのだから、その辺は外国人が作った現行憲法の限界だよね(ちなみに自民党憲法改正草案の政教分離の項は、現行から少し変えて、おそらく玉串料の公費支出くらいは憲法違反にならないような解釈ができる文章になっている)。

京都府知事は、宮家のどなたかが京都に住んでほしいという主張をしていて、短期的にはそれが一番現実的かもね。赤坂御用地よりは文化に触れる機会が増えていいかも。まあ皇室同士のつながりが…ということもあるので、それは皇族方にお任せするしかないかもだけど。ただ、考えたくもないが、関東大震災で命を落とした皇族もいたし、なんらかの不測事態や攻撃の可能性を考えると、皇統を受け継ぐうえで、皇族方全員が東京にいるのは将来危険かもしれない終戦間近の昭和天皇も、いざというときには自身の命より三種の神器を守るほうが大事だと決心したという話もあるし。

まあ副首都の問題含めて考えておくべきでしょうね

ただ、一点申し上げたいのは、今上陛下の御自身の御葬式に対する御発言が宮内庁を通して伝えられたり、女性宮家問題が取り沙汰されたりしているが、皇室といえど、皇室だからこそ2600年の歴史に照らして守らなければならないことがあります、ということ。先日亡くなった寛仁親王はそれを敢えて自ら積極的に発信していたと思う。皇室に9人連続で女性御誕生という非常に稀な事態の中で(1/512の確率)、今や現実的には悠仁親王殿下御一人が日本と皇統の歴史と希望を背負っていらっしゃるので旧皇族の復帰を有力としてなんとかしなければいけないのは確か。旧皇族国民感情になじまないとか(そういう奴に限って現皇族方にも大してなじんでいない癖して)、社会の男女平等とか、まったく関係ない議論に惑わされてはならないということ。皇統は人のよさとか、そういうもので決まるのではないあくまで男系、原則的には男子という血筋で決まるというのを絶対に曲げてはならないということ。女系もいいじゃないかという議論が数十年、数百年後の日本人にどう見られるか、顔向けできるか、未来の日本人が誇りに思えるかということを深く考えて、今後のことを考えないとね。

小泉政権下で曲がりかかった過去があり、今もなお邪論が予断を許さない状況にあるということは肝に銘じておかなければ、と強く感じる。