生命と女性の手帳

朝日新聞[天声人語](2013/05/21)より
http://www.asahi.com/paper/column.html?ref=com_top_tenjin

 閣議決定されたその文書にはすごいことが書いてある。結婚年齢を今より3年早くする。子どもは平均5人とする。女性の就業は抑制する。独身者は税金を重くする。避妊、堕胎は禁止する――

▼1941年1月の「人口政策確立要綱」である。太平洋戦争の前夜、東亜共栄圏を建設するため、人口を急激に「発展増殖」させる方策だ。もちろん今日、こんな決定は通るまい。とはいえ底を流れている発想はけっこう根強いのかもしれない

▼6年前、1度目の安倍政権の閣僚が女性を「産む機械」に例え、「頑張ってもらうしかない」と言って、大騒ぎになった。そのとき各党は「人口政策」という言葉で批判した。国のために産んでくれという発想はまさに同じだったからだ

▼いまの安倍政権もそうだとは思わないが、脇は締めた方がいい。内閣府が「生命(いのち)と女性の手帳」(仮称)の配布を検討し、随分批判されている。妊娠や出産に関する正しい知識を「啓発」するのだという。要は若いうちに産んだ方がいいよ、と

▼知識はあるにこしたことはないが、少子化対策の文脈で出てきた話である。子どもが減ったのは女性だけの責任なのか、という議論になるのは当然だろう。森雅子少子化相は男性に配らないとは言っていないというが、どうなるやら

▼結婚や出産は一人一人の選択であり、多様な人生が等しく尊重されなければならない。特定の生き方や家族のあり方を国が促したり、押しつけたりする。それを余計なお世話という。

この後、結局この話は流れてしまった。

女性手帳に反対する人たちに欠けている視点を、ひとつ指摘しよう。
それは、これから生まれてくる子供の人権、という問題だ。

以下には、配慮が足りない、と思われるかもしれないが厳しいことも書く。

個人の生き方に口を出すな、という批判がある。
しかし生まれてくる子供にとっては、若い体から産まれるほうがリスクが少ないに決まっている。障害にかかる率もそうだ。これは人権だとかなんだとか言う以前に、人間がホモ・サピエンスという生物であるが故の厳然たる事実だ。医療技術の進歩でその幅は増えたかもしれないが、適齢期はある。
それを知った上で、子孫を残すか否かは、各人の判断である。

では、人間は社会的動物じゃないか、ということについて考えてみよう。
少子化については、長期的な人口減少より、むしろペースの速さが目下の大問題である。ゆっくり少子化するのなら社会も成り立つだろうが、出生率1.4ではこの先の社会が成り立たないのは明白だ。
これから生まれてくる子供は、先に生まれた人たちの年金をせっせと稼いで、自分たちの年金はない、ということになるかもしれない。友達の絶対数も少ないことになるだろう。

女性だけの責任か、という批判がある。
まず、どちらかの性に責任を求めるのは、はっきり言って無意味だ。男女が性交をしなければ子供が出来ないのは不変の真理である。よって両性の責任である。そして出産は女性にかかる生涯一の負担だ。身の危険も伴う。ここまでは哺乳類として変えようがない。
問題はこの先だ。育児を男女がどう行うかということである。これは社会的な政策で変えることができる。その例が待機児童解消や育児休暇延長である。他にももっとやりようがあるだろう。この処方箋を考える方が、女性が悪い、男性が悪い、という話をするより、はるかに建設的だ。
もし手帳を配るなら男性にも配ればいいじゃないか。出産することになるかもしれない相手を思えば、男性だって女性の体の知識は持っておいた方がよい。女性を愛し、女性の健康を気遣えばなおさらだ。

さて、出生率が1.4では社会がもたない、と書いたが、結婚している人に限れば、現在でも二人程度は産んでいる。
http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou14/chapter2.html
(国立社会保障・人口問題研究所より)

つまり、現在の日本においては人口問題とは結婚問題である。
(予め書いておくが非嫡出子等を差別するつもりは全くない。ここではあくまで人口減少問題に対する処方箋を考えている。)

結婚したいと思える相手との出会いや、その後実際に結婚出来るような環境を整備する。よく言われるように、これは経済問題と高度に関係している。若者の所得を増やし、将来不安をいかに和らげるか、ということである。つまり難しいが政策において対応可能だ。

国家と人口、ということについてはまた今度。